2012年5月24日 (木)

大脱走マーチ

 「ご用意できました。」 えっ? 今頃何だ? チャカチャカとPCで確認すると、数ヶ月前に予約したDVDの順番が廻ってきたということです。 最近の図書館は頗る便利になりましたが、まだまだ改善の余地があるので、「感心した」とまでは言いません。

 本当は、便利になったなあ、という正直な感想を持っているのですが、本を借りて読んで、読み終わった本を返却口まで持っていく、という長年親しんできたアナログの世界に、無理矢理オンラインを使って、検索・予約という一部分のみ現代化したという感じが否めません。 そもそも「本」そのものの生存が危ぶまれているのですから、こんな小さいことに早まって感動してはいけないのです。

 で、DVD「大脱走」です。 もう何回も見ていますが、数ヶ月前に何かを確認したくて予約したのです。 何を確認したいのか忘れました。 それでも見始めるとどうにも止まりません。

 「見よっ、大空を、晴っれーたみ空のもと、恐れずに、すすもオー」。 最初のセリフはドイツ兵による「アウスシュタイゲン!(降りろ)」。 装甲車からドイツ兵が降り、続いて米兵が下ろされます。

 はじめて観たのは高校か大学の頃だったでしょう、こんな美しい自然の国で、こんなことが、と思いました。 ロケ地はわかりませんが、緩やかな丘陵が多い欧州の景色です。

 スティーブ・マックウィーンのオートバイによる逃走シーンのカッコ良さと潔さのようなものに感動すらしました。 これ見てバイク免許取ろうとした若者は私をはじめかなりいた筈です。 実際に免許を取ったのは経済的に余裕ができた入社4-5年目だったのですが。 免許無いとね、ああいう状況になったとき困るじゃないですか、無免許ということはこの際問題にはならないでしょうが、少なくとも運転できないとネ。

 さてさて、独房の場面、床に座り壁に向かってキャッチボール、なるほど独房ではこうやって過ごすのだな、ボールとグラブは必需品だ。

 おおっ、今まさにリチャード・アッテンボローTHE脱走王が入所してきました。 グレーのトレンチコートはこうやって着るのだな。 デビッド・マッカラムは甲斐甲斐しく世話をやきます。 そうか、若い間はこうして仕えるのだな。

 脱走用のトンネルは3本、それぞれ、トム、ディック、ハリーと名付けます。 なるほど、こういう名の付け方がクールなのだな、第一、第二、第三などと付けてはいけないのだ。

 調達屋のジェームス・ガーナーは、つるはしであろうが、タイルであろうが、何でもないかのように請負い、必ず何とかします、プロはこうあらねば。

 何のために予約までして借りたのか思い出せませんが、まあいいじゃん、こんなに教訓に満ちた映画なのだから。

2012年5月15日 (火)

備えよ常に

 ヘイ、ヘイ、どうやらわれわれを呼んでいるようです。 目が合うやいなや、「ニッポンノオカネ、ミタイ、ミタイデス」と言い、しきりに自分の目を指差します。 ここはロンドン。 クルマの助手席から声を掛けたのは30歳半ば位の小太りの男。 運転席にはニヤニヤしているアングロ系チンピラ。 そのチンピラはギヤを入れてクラッチを踏んづけています。 すぐに発進できるようにしているのです。

 こりゃ面白い。 こう言われてホイホイお札を出して「見せてあげる」日本人がいるのだ。 あまりの馬鹿馬鹿しさにこちらは大笑い(こちらは男3人だし)すると、向こうもニガ笑いですぐにあきらめました。 先方はプロですから、脈なし、とすぐに嗅ぎとります。

 ローマのトレビの泉。 ポップコーンを買って札を出すと、案の定お釣りが足りません。 これ違うぞ、とでたらめドイツ語で語気荒く言うとすぐに足らない分をくれます。 お前、やけに計算早いな、確認もしないし。

 パリ、ルーブルの前では子供たちがワッと寄ってきます。 新聞紙を広げて突きつけて口々に何か言ってきます。 新聞紙で、胸より下が隠れます。 カバンやポケットを探るのです。 オラオラーッ、お前ら相手間違えてねえか、と凄むと引きます。 手をかけるといけません。 ややこしいことになります。

 バルセロナからパリ行きの夜行列車。 コンパートメントで一緒になったアメリカのバッグパッカー、同行したS君のポケット版5ヶ国語会話便利帳をいたく気に入ったようです。 どこで買ったか? 日本だ。 そうか残念だ、ワタシも欲しい。 そうだろうよ。 S君なんざ、これを頼りに生活してんだから。 S君、それをバッグの奥に入れず、外ポケットに差しておきました。 何たるノー天気。 明け方近く、そのアメリカ青年とポケット版5ヶ国語会話便利帳は煙のように姿を消しました。

 シンガポールのホテル。 誕生日のケーキを運んだインド人、チップをやっても立ち去りません。 当時そのスマートなたたずまいで思わず購入した薄型テープレコーダー「ダヴィンチ」を欲しそうに眺めています。 触ってもいいか? どうやって使うのか? 電池はどこから入れるのか? 何でそんなこと訊くのだ。 今夜は枕の下だな、少し硬いけど。

2012年5月 7日 (月)

涙の太陽

 まっかにもーエたー、たいようだーからー、と美空ひばりがミニスカート履いてクネクネと身体を動かして歌っていたのは私が中学3年生の頃。 びっくりしました。 1年生の頃には、エミー・ジャクソンという日本の方が涙の太陽という歌をヒットさせていました。 これはいい曲でした。 ティークミィ、ティークミィ、ティクミィハーレンノー、と口真似していました。 太陽にもいろいろあるのです。

 久しぶりに満月を双眼鏡で覗きましたが、やはり月は欠けていないと面白くありません。 欠け際を双眼鏡で覗くと、球体であることがよくわかります。 満月を正面から睨めっこしても今ひとつであり、どうしても満月を見るなら団子食いながら十五夜で。

 さて双眼鏡の使い方の基礎の基礎。 これを知らない人が随分いますので、ただでこっそり教えます。 

 まず、双眼鏡の見口部分、眼球と接眼レンズとの距離を長くしたり、短くしたりできるようになっています。 最近はポップアップ方式が多くなっています。 これは「調整」するものではなく、メガネを掛けたまま覗く場合は短く、裸眼で覗く場合には長く、という2通りだけです。

 次に、右側の接眼レンズの真上位にピント調整ダイヤルが付いています。 これは、左右の視力が異なる人が多いためのものです。 まず、普通に覗いて、右目を閉じ、左目だけで、何か対象物を見て、「中央にあるピント調整ダイヤル」で、良く見えるところにセットします。 次に右目だけで同じ対象物を見て、良く見えるように、今度は「右の接眼レンズ真上の調整ダイヤル」でよく見えるところにセットします。 これで、見る人の左右視力が補正されました。

 次に、左右の目の間隔は人によって異なりますので、左右のレンズの距離(幅)を調整できるようになっています。 本体を折り曲げるような動作で調整します。 これは大事なプロセスです。 双眼鏡で見ているのだ、ということを強調するために、映画でも漫画でも瓢箪を横置きにしたような視界が描かれますが、あれに惑わされてはいけません。 両目で覗いて、「横置き瓢箪」を頭に浮かべるとうまく見えません。 もっとレンズ間の間隔を狭めましょう。 すると、大きなひとつの円の視界になります。 これが正解です。

 潜水艦映画で潜望鏡で覗いた場面のように見えればいいのです。 ほーら、真ん中に敵駆逐艦が見えるでしょ。 潜望鏡も両目で二つのレンズを覗いているはずなのに、横置き瓢箪映像を見たことがありません。 海上に出る対物レンズがひとつだからなのでしょうが、正しい双眼鏡の見え方は、この潜望鏡と同じと考えれば宜しいのであります。

 で、太陽ですが、涙であろうが真っ赤であろうが、双眼鏡では絶対に覗いてはいけません。 来るべき金環日食用には 専用のメガネが売り出されています。 今回は仮面ライダーフォーゼのお面でいきます。

 

 

2012年5月 1日 (火)

ブルックナー8番

 W大学へ行く用事がありました。 早稲田駅で降り、南口へ向かう途中、腹拵えをしようと札幌スープカレーの店に入りました。

 店内には「合格おめでとう」と書かれた紙が貼ってあります。 そうか、そういう時期か。 希望にあふれた新入生が足早にキャンパスに向かっているのだな、結構、結構。 おじさんは店の隅でその様子を見て寂しげな笑みを浮かべてカレーを食べるからね。

 さて、注文をせにゃ。 野菜付きと野菜付きでないチキンカレーがあります。

 「野菜付きでないチキンカレーはチキンだけなの?」と、どうでもいいことだけど、つい世慣れたオジサンを演じてしまいます。 「いいえ、野菜付きでないカレーも人参なんかは入ってます。 野菜付きは、それにピーマンと×××が入っています。 どうしますか。」 むむっ、同じことを聞く奴が多いのかいやに落ち着いていて淀みがない返答だ。 

 「ピーマンと×××かぁ。 入っていると美味しいの、それ?」 「はい、おいしいですぅ。」 「普通のチキンカレーでいいや。 つまり美味しさがそれほどでもないやつ、ね。」

 最後のセリフ後段部分は実際には発音しません。

 どんぶりのような容器にチキンの足がかなり煮込まれて入っています。 ぼろぼろとスプーンである程度は取れるのですが、やはり、手を使わないとうまくいきません。 両手ヌルヌル、頬にはカレー跡が、という情けないことになりました。

 「オレ、こんなにまでしてチキンを食べたかったわけじゃないんだぞ、成り行きでこうなったんだぞ。」とこれまた発音せずに周囲に向かって言いました。

 それはさておき、W大交響楽団通称ワセオケには、高校の同級生であるホルン吹きT君がいました。 一度練習に呼ばれて(「トラ」に呼ばれたのではありません)見に行ったことがあります。 山岡重信氏の指揮で第九の練習でした。

 チキンカレーの話が長引き、本題を忘れそうになっていました、そうそう、高校時代にこのT君からブルックナーのレコードを借りたのです。 フルトヴェングラー指揮のベルリンかウィーンフィルの7番と8番。 ベージュの箱に入った4枚組。 豪華!

 学校に持ってきて貰って、それを私が持って帰る、という段取りなので、朝は別々に登校してもいいのですが、津田沼で落ち合い一緒に行こう、とこうなりました。 何せ、箱入りの大変貴重なものの受け渡しだから。 フルヴェンのブルックナーだぞ、頭がたかーい。

 正門前の長い坂道を登りきったところで気が付きました。 オイッ、T、オマエ、レコードしか持ってないじゃん。 カバンどうしたんだよー。

 その後の顛末は覚えていませんが、授業前の出欠確認の際に、T君はかくかくしかじかの理由で少し遅れるのだ、決してサボッているのではないのだ、と申告したのを覚えています。 じゃ、手ぶらで来たのか、と一様に聞かれます。 なぜかレコード持参と言いにくくて、咄嗟に「部活用の楽器を持ってきたからです」、と嘘をついてしまいます。 続けて、「まあいいじゃないですか、さっ、授業を始めましょう」と、実際には発音しないで。

 

2012年4月24日 (火)

【カタログの歌】4

Madamina, il catalogo e questo (Don Giovanni)

■ 「夢見るシャンソン人形」 フランス・ギャル。 フランスのギャルです。 

■ 「夕陽のガンマン」 エンリオ・モリコーネ。 ビヨーン、ビヨーンというエレキサウンドが印象的です。 映画はクリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン(日本以外ではスパゲッティ・ウェスタンと言うそうです)。

■ 涙のギター すぎやまこういち。 いろんな人が歌っていましたが、この時代、この種の歌は、「何でも尾藤イサオ」だと思っています。 「涙の…」「恋の…」「…の渚」「哀愁の…」という題名ばかり目立ちました。

■ 「雨のメリケン波止場」 フランク永井。 牧伸二がウクレレを持って「フランク永井は低音の魅力」と歌っていましたので、低音が魅力的だったのでしょう。 私は覚えていません。 有楽町で逢いましょう、という歌はずいぶん聞いた記憶があります。 有楽町という素敵な場所には行ったこともないので、大人の東京の人の話だ、と思っていました。

■ 「安來節」 「やすぎぶし」と読みます。 知っているのは泥鰌すくいだけです。

■ 「つゆのあとさき」 さだまさし。 ですが、永井荷風の「カフェの女給」の方が印象的です、というより、本当はさだまさしさんの曲は名前だけ知っておりますが、まだ聞いたことがありません。

■ 「青年は荒野をめざす」 五木寛之作詞、加藤和彦作曲のフォーククルセダーズの名曲。 「…さーらーば恋人よ…」という部分、まだ恋人と呼べる人もいないのに、キッ、と遠くを見つめて歌っていました。 高校生になったばかりだし、少し先走っているかな、と思っていましたよ、自分でも。

■ 「アイム・ダウン」 ビートルズ日本公演の最終曲。 ポール・マッカートニーの熱唱、それに水を差すマイク・スタンドの不備。 あーあ、あっという間に終わってしまいました。

■ 「ボレロ」 ラヴェル。 最初から最後まで単一クレッシェンド。 中学校の朝の掃除の時間にこれを流していましたので、聞くたびに水に濡れた雑巾の感触を思い出します。 クロード・.ルルーシュの「愛と悲しみのボレロ」を観ているときも、雑巾を思い浮かべていました。 

2012年4月22日 (日)

ボレロ

 京成○駅前にあるダンキンドーナツは、その昔K堂という本屋さんでした。 おかみさんが一人で店を切り盛りしていました。 

 少年キングが創刊されたとき、発行元である少年画報社は後楽園遊園地の招待券を付けるという大盤振舞をしました。 表紙をめくったところに綴じ込んであるのです。 その招待券だけを破いて持っていくガキがいるんだ、ということを、客との世間話を装い、店の中にたむろしていたガキ連中に聞こえるよう十分な声量をもって注意喚起をしておられました。 「ちゃあんとオマエラの魂胆はわかってるからね、許さんからね」と。 小学校5年生の頃です。

 学研(学習研究社)の「プログラム学習」という参考書だか、問題集だかが発刊されました。 担任のFは、教室で「これはいい本だ、是非買いなさい。」と紹介しました 同時に、5センチ四方に切ったザラ紙に「F」という自分のハンコを押した紙片を皆に配り、これを持って駅前のK堂に行けば売ってくれると説明したのです。

 ほうっ、数に限りがあるのだな、などと無邪気に思っておりました。 K堂へ行き、紙片を差し出すと、「そんなもんいりません!」と凄い剣幕です。

 正直言うとそのときは事態を理解することができませんでした。 翌日ヒソヒソ話でようやくわかりましたが、それでもそんな奴が担任やっているということが、いまひとつわからない、何かの間違いだ、という純粋さが当時はありました。

 口直しに、純朴なS氏の後始末を。 こちらは小学校4年の理科。 

 脈拍をとってみましょう、はい、静かにー、手首の血管を指で押さえてください。 先生がハイと合図してからストップというまで、何回脈拍があるか数えてください。 声を出してはいけませんよ、どうしても脈がわからない人は、静かに呼吸して、お腹の上下するのを数えてください。 いきますよー、ハイ。

 私は、腹の動きすなわち、呼吸の回数を数えました。 当然脈拍の方が大きい数になることはやる前から分かっています。 「せんせー、呼吸数に何倍するんですかー?」 私は呼吸数と脈拍が相関関係にあると理解し、へぇーっと感心すらしたのです。

 ところが、呼吸数と脈拍数の関係を何度も聞くのですが、答えてくれません。 右前にいたお勉強のよくできるM子さんが、笑いながら口に手を当ててシーッ、と言っています。 あっ、わかった! S師、脈と呼吸は同じだと思っていたのだ。

 しまった、S師に何度も聞くなどと、悪いことしてしまった…タンタタタタンタン、タンタタタタタタタンタン、タンタタタタンタン、タタタタタタタンタン… 乾いた小太鼓の音が頭の中をめぐります。

2012年4月15日 (日)

アイム・ダウン

 いいか、上を見上げるなよ、素知らぬ顔をして樹の下まで行くんだぞ。

 鳴いている蝉を探そうと、近づいて顔を上げた途端に、ピタッと鳴き止みます。 上から小便をかけて逃げ去っていく場合もあります。 蝉は視線に敏感なのです。 同じ近づくにしても素知らぬ顔で視線を向けなければ、安心して鳴き続けます。

 何か足らないな、ウン、何か足らない。 セミの鳴き声だよ、足らないのは。 昨年の夏は気味が悪いほどセミが出てきませんでした。 地震と関連付けた説明は不気味です。 今年は出て来なさいよ、キミたち。 目を向けないようにするからさあ。 薄目を開けるズルもしないからさ。

 時は遡り、昭和41年。 中学校の体育館です。 修学旅行の反省会と称して全員正座です。 目を瞑れと命じられました。 ハイハイ、仰るとおりに。 女性教師が、旅館で女性風呂を覗きに来た奴がいる、と憤激しています。 ああ、あの話か、なんか騒いでいたぞ、1組か2組の話だろ、われわれは9組で別棟だったし関係ないじゃん。

 女性教師の延々と続いた説教と弾劾が終わり、コワモテですが、少し論理的思考に難のあるM教師の恫喝が始まります。 風呂事件に関与した者、手を挙げい!と言えばいいものを、と後で歯を噛みながら思いました。 M教師の役割はそれなのだから。

 ところが、このM教師、調子に乗って独自の説教を始めました。 こちらの足は正座で竹のようになっているのに。 しかも目を閉じていますのでフラフラしてきます。 結構きついな、これ。

 要は、お前らの修学旅行に対する心構えが全然できておらなかったのである。 今聞いたような子供らしくないことをする輩(1)、毎晩部屋で騒ぐ奴ら(2)、公共の場でマナーを守れない不届き者め(3)が。 (番号は筆者による注記)

 で、罪状認否。

 今言ったようなことをした奴は黙って手を挙げい、いいか絶対目を開けるなよ。

 修学旅行の旅館では毎晩布団蒸し、枕投げ、プロレス技大鑑など、大騒ぎするのが慣例であり、これは、M教師が言う公訴事実の(2)に該当します。 (3)の公共マナー関連は争いはあるものの、ま、グレーかな。 当時リーダーのような立場にあった私としては、逃げるわけにはいかんと殊勝に手を挙げたのです。

 反省の儀が終わると、何だか様子が変です。 仲のいい教師がニコニコ顔で、私の肩に手を掛けて優しく声を掛けたりします。 他の教師の視線もハッキリ感じます。 

 私の後ろの方に座っていたSがニヤニヤして、「お前だけだよ、手挙げたの。オレの見える範囲では。」 えー? 誰も手を挙げなかったのか、俺だけか? お前らキチンと公訴事実を聞いたのか? あっ、これやっぱり風呂事件のこと「だけ」なのか。 俺だけ勘違いして無実の自白調書にサインしたのか。

 教師のニコニコ顔は「過ちは誰にでもある、大事なことはそれを素直に認めることなのだよ、その点君は立派だったよ」と言っているのか? こんなトホホな状況だったのか。

 おい、S、お前薄目開けてただろ。 

 

2012年4月 9日 (月)

青年は荒野をめざす

 エー、掃除はやらなくともよろしい。 昭和43年の春、高校の担任I師の第一声。

 正門を入って右手に古い木造の建物があり、それがわがD組に与えられた教室です。 今日のような春の風に触れると、あの時の様子が蘇ります。 靴を脱いでサンダルに履き替え、教室に入ったものの、これからどうすんだ、という空気が流れます。 よそよそしさの中にも、目が合う度に、仲良くしようね、と目で精一杯語りかけます。

 クラス会長のI君が、掃除をやろう、と言い出したのです。 嫌がる奴は一人もいない、おおっ、掃除か、それはオレ得意だぞ、という雰囲気すらありました。 掃除には道具がいるだろうよ、どうしたんだろ、そんなもん持参しているわけでもなし。

 これから艱難辛苦の3年間を送ることになるのでありますが、若い命にはそれに向かっていく無謀・無知の力がありました。

 わが校の庭訓の教えまことに厳しく、年に何人かは血祭りにあげられることになるのですが、私の場合は、男前K師の古典乙Ⅰでした。

 この部分の説明をせい。 何でオレに当たるねん、と思いつつも、昨夜こちょこちょと教科書にメモしておいて良かった、と少しばかりの余裕はありました。

 そこはかくかくしかじかであります。

 キミは辞書で調べたのか。

 御意。

 ホントか。

 エーッ、辞書だと思いますが、参考書かも知れません。 (アンチョコで調べたという弱みがもうこの答弁の中に出てるぞ、これはまずかった。)

 諸君たち、辞書を出してこの言葉ひいてみなさい。 君もだ。 (まずい、古語辞典などひき方わからんぞ)

 まことに情けないやりとりが続いたあと、

 君が調べたという参考書はどこの出版社だ。

 ハイ、良くは記憶していませんが、○○出版ではないかと。

 本の名前は。

 ハァ、きょ、教科書ガイドと言います。

 

 

2012年3月29日 (木)

つゆのあとさき

 ホラ、今日もザブトン飛んでんでー。 小学校低学年、つまり昭和30年代半ば頃の記憶。 栃錦、若乃花、朝潮などが活躍していた時代。

 これまで尻の下に敷いていた座布団を客席から投げてしまう、普段は冷静なのに理性を抑えきれず、大変いけなくて危ないことだと分かっていながら、このあとさき考えない行動に出てしまう、ほどの大変なことが土俵上で出来したのだ、と考えるのが普通である、であるから、小学校低学年の私は、その大変な事態の(TVを通してだけど)目撃者となったのだ、という気持ちから、周りの人、具体的には母に向かって、冒頭の言葉を吐くのであり、そこには、私が目撃したという承認を求める、少し誇らしげな気分も少しはあったのであります。

 ところがどうだ、今でも座布団は飛んでおり、場内アナウンスでは、昭和30年代と同じように、ザブトンを投げないでください、とやっているではないか。 ザブトンを本当に飛ばさないと、それはそれで困るんだろ、協会は。 幼い頃大騒ぎして損したぞ。

 このザブトンパフォーマンスは、そこらじゅうありとあらゆる場面(特に政治関係)で行われており、「大騒ぎして損した」という経験や自省のない顧客がまだまだ大勢出てくるので、これはこれで有効な戦術といえなくもない。 相撲は何十年も前に興味を失っているので私は一向に構いません。

 だが、蕎麦つゆは違うぞ! 何だ、いきなり。

 蕎麦のつゆは「たっぷり」あるいは「十分」であることを前提に金払ってんだから!  まあ、落ち着けよ。

 つゆはほんの少しつけるのが正しい蕎麦の食べ方、という人がいるのは結構。 しかしだな、それに乗じて、ほんの少ししか出さんのはけしからんぞ。

 元々、蕎麦職人の労働環境はすこぶる悪いもので、賄いの蕎麦には、つゆは少ししかもらえなかった、それを見た「蕎麦通」が、「本職は少ししかつけない」と思い込んだのが始まり、という元蕎麦職人の話が、これまで幾多の蕎麦解説のなかで一番説得力があるぞ。

 最近の蕎麦屋の座布団は、気のせいか椅子にくくりつけて投げられないようにしているのも気に入らんぞ。

2012年3月26日 (月)

安來節

 コーネはツッタコーでくるまるなー …。 これはT君の愛唱歌「雪やこんこ」、猫はコタツで丸くなる、の部分です。 昭和39年東京オリンピックの頃、小学生でした。

 T君の家でアメリカザリガニを食いました。 そこにはもう一人いたのですが、思い出せません。 もちろんT君のご両親は留守、というお約束のシチュエーションです。

 アメリカザリガニはそこらじゅうにいたように思います。 大阪ではドブ川にもいましたので、汚いもの、とても食うものではないと思っていました。

 小さい鍋に3-4匹と水を入れボイルするのですが、このT君、塩をひとつまみ入れました。本格派だぞ。 オオーッ、全身真っ赤になりホンにうまそうだ。 で、尾っぽの部分をちぎって外皮を外していくと、ほんの少し白い「食える」部分が残ります。

 「食ったか」「食った、食った」。 理由はハッキリしませんが、こんなことしていいのか、という気になりました。 残骸を捨てに行く途中、今度は泥鰌捕って食おうな、と。 ウン、そうしようと言いつつも、これ位でオリようと思っていました。

 さてこのアメリカザリガニ。 釣っているガキは大勢いました。 ヒモの先に縛り付けるのは、そのアメリカザリガニの身の部分、それをアメリカザリガニがハサミで掴むのですが、何でこんなことで釣れるのだ。 イカの切り身がいいんだよ、などという奴もいましたが、そんなもの手に入るわけありませんので、私はいつも手掴みです。

 時は巡り、アメリカザリガニは高級食材という人もいます。 伊勢海老やロブスターに比べて、食える部分が少ないので効率は悪く、食料としては今ひとつ普及しないということらしいのです。

 ホントか? オイッ。何か隠し事していないか。 人口に膾炙されなくなると、イヤもっと簡単に言うと、話題にしなくなると「何かよろしくないことがある」ということが多いからナ。 アメリカザリガニはモノが小さすぎるので、ま、いいけどね、食ったことあるし。

 

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